「なるべく安く買う」と「なるべく高く売る」が非効率と不幸を呼ぶ

どこかで誰か同じことを言っているかは分からないが、最近つくづく思ったので書いておきたい。

「(なるべく)安く買う」って何なのか
「(なるべく)高く売る」って何なのか
そしてそれは、人を幸せにしているのかと。

これは生産者であっても消費者であっても同じだけど「なるべく安く買う」ために、人がかけているエネルギーってそれなりにすごいと思う。
複数店舗のチラシ比較
ECサイトと実店舗の価格比較
・タイムセールに合わせた入店
・相見積り
・値引き交渉    etc
なぜ安く買おうとするのか?
もちろん、経済合理的な活動だからだろう。だけど、こうも言えないだろうか。

「あいつら(売り手)が、なるべく高く売ろうとしているから」つまり「実態価値より高く売ろうとしている」から、「言い値で買っては損なのだ」と。
※SIビジネスでは特に顕著

同様に、「なるべく高く売る」ためにかけているエネルギーもまたすごい。
・広告宣伝
・店舗立地
・包装
社員教育    etc
なぜ高く売ろうとするのか?こうも言えないだろうか。

「あいつらは、価値も分からないくせに「安くしろ」と言う。だから高い値段を言っておけば良い」
※SIビジネスでは特に顕著

総じて、性悪説に依って立つ社会はコストが高い。

その対極にある世の中を夢想してみる。
売り手が自身の提供するモノやサービスに対し「これこれの価値があるからこの値段。それ以上でもそれ以下でもない」というスタンスを保ち、買い手は売り手の主張を一旦是とした上で、同じ価値を認めれば買うし、認めなければ買わない。企業における調達担当の評価は、「どれだけ安く調達したか」ではなく「どれだけ自社にとって価値あるものを見極めて調達したか」によって決まる。値切ったことで、逆に「あんなに価値あるものを、なぜこんな低い値段で調達したのか。我が社の見識が疑われるではないか」とマネジメントから叱責される。

「価値を削り合う」のではなく「価値を認め合う」世の中の方が、ヒトの前向きなエネルギーを引き出せるし、結果的に総コストも下がるはず。
・・・
はあ、疲れてるな自分。